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◆ 第25回 主なテーマ 番外編 第4回 オリンピック
歴代オリンピックの選手が一同に会したら・・・
しつこいようですが資料などなし、全て二人の頭の中のデータベース・・・愛ですね~

 

まきさんとしかこういう話はできないと思うのですが、例えば100メーターで、あり得ない話ですが・・・今までの中で同時に走ったら誰が一番か、まきさんの中で誰が一番速いか聞きたいんです。種目別で100メーター、200メーターとか、水泳でもいいのですけど、そういう話をしてみたいです。オリンピック話題として。

うーん・・・僕はね、ついこの間のオリンピックがあるまでは、100メーターはヘイズが一番速いと思っていた。

おお、じゃまずは陸上から行きましょう。

100メーターはボブ・ヘイズ、200メーターはトミー・スミスだと思う。

メキシコのね。

うん、で、400メーターもやればトミー・スミスだと思う。

彼はやらなかったですね。

うん、めったにやらなかった。でもたまに走るとメキシコ優勝のリー・エバンスよりも確実に速かった。

マイケル・ジョンソンじゃなくてね?

そう、マイケル・ジョンソンじゃなくて。

トミー・スミスがもっとやれば。

そう、ところが今度見て、100、200はあのウサイン・ボルトが越えちゃったと思った。

ということは最速は、

ウサイン・ボルトが過去の誰よりも速いと思った。そして興味はウサイン・ボルトがこの先どれだけ記録を出していくか。

だって発展途上ですものね。

そしてあと400をやったらどうなるか・・・と思うね。

400、行けますよね。

うん、400いける。

ちょっと戻って、こういう話はやっぱり昔のオーエンスの時代から行かないと、そういう話をできるのはまきさんしかいないから・・・

僕らの親の代の人がしたら、やっぱりオーエンスって云うだろうと思う。一番速かったのは。

見てるからね。僕もね、やっぱり圧倒的なのはボブ・ヘイズなんです。とくに400メーターリレーの5位から抜いて抜いて。あれだけ離れて抜いたのはいないですよ。今まで、僕が知っている限りのオリンピックで。

君はテレビでそれを見たの?

はい、テレビで。

そうか、むふふふ・・・僕はホンモノを見たのだよ。

うわ~!!! 悔しい~。

あっ、東京オリンピックの話してるの?

あれ見たんですか!

見ちゃったんだよ、見たの! 生で。

ゴールの瞬間バトンをポーンと投げたやつですよね。

うん。

はぁーーー今回も朝原投げてバトンが見つからないんですって。

そうなの?

無くなっちゃったみたいですよ。

そりゃもったいないことしたな。なんというか日本陸上の悲願のメダルの記念品なのに。

ええ、あのリレーは感動ものでした。

そうそう、見方によっては金メダル以上の快挙。

・・・話戻すと、やっぱりボブ・ヘイズ。

あのリレーの時のタイムが8秒8とか云われているんだよね。

えっ?

400メーターリレーのアンカーのタイム。

9秒切っているという事でしょう?

それはどうして?

なんといっても助走があるからね、

8秒8くらい行くらしいよ、今の選手だって行っている。この間のパウエルだって同じくらいで走っていると思うよ。個人では勝負弱かったパウエルがね、リレーの時はせいせいと走ったねえ。あれ速かったよ。あの時トリニダードトバコの銀メダル取ったトンプソンっていうのが一緒に走っていて、それよりずっと速かった。このオリンピックで初めてパウエルらしい走りを見せてくれたのが嬉しかった。

はるかに速かったですよね、本当は緊張するはずなんですけどね。

そこはリレーのよさなんだろうか? で、やっぱりアンカーのパウエルに、第3走者ボルトがカーブで速い。大柄なのにちょっと意外な感じだけどね。

そこでヘイズの話なんですけど・・・どうしてリレーでアメリカはヘイズに渡るまでにあんなに遅かったんですかね。

やっぱりバトンがまずいんじゃないの、伝統で(笑)。それとあの時アメリカでは100メーターの選手が3人出ていて一人が準決勝で落ちて、もう一人決勝に残って6位だったのがペンダー、このときペンダーは決勝終わった辺りで足痛めてリレーに出られなかった・・・

ペンダー、いましたよね。云われなければ想い出さない。さすがまきさんだ! まいった。いい選手でしたよねペンダーって。

うん、メキシコにも出てやっぱり6位。

ちょっと小柄でね。

うん、小柄で165位しかない、そうとうがっちりしている。

四角い箱みたいでしたよね。

で、スタートダッシュがいい。

・・・100メーターの話でボルトが出てくるまではやっぱりボブ・ヘイズですからね。ここは一致しましたね。まきさん、その後のジム・ハインズは速かったけどやっぱりボブ・ヘイズですよね。

ボブ・ヘイズの凄みっていうのはね、ちょっと違う。走り方も独特でね、まず足が極端な内股、そして肩をゆすって走る。

準決勝追い風で準決勝で9秒9。あの時、すでに44年前で9秒9だよ。

9秒台が初めて出たとか、そういう事ですか?

そう、それまでは世界記録は10秒0。西ドイツのハリーとカナダのジェローム。

機械式の時計だったとか?

そう、ストップウォッチ、あっ違うか?

東京オリンピックはもう電気時計使っていたんだよ。初めてじゃないかな。でもストップウォッチも参考までに使っていた。1選手につき3人かな。それが準決勝では9秒7くらい指していたらしいよ。決勝は電気時計の10秒0でストップウォッチ9秒8。計測員の人驚いたろうね。

びっくりして間違えたかと思って周りを見たら・・・

周りもそうだったという、

しかもあの時のは、全部オープンのアンツーカー。

ああレンガ砕いたっていう・・・

レンガの粉。

しかも状態が悪かった訳じゃないですか。

そう、決勝の時はヘイズは1コースだった。前の日が雨で、1万メートルの決勝があったから、内側なんて大勢が走ってぼろぼろになっている。まあ、ローラー掛けたろうけどさ。

あの記録の「東京オリンピック」っていう映画、録画してあるんです。

あれはいいよ、市川昆。

そう? 僕はあの映画好きじゃないんだよね。100でもヘイズだけ大写しにして他の人との比較が分からないから速さがわからない、そういう所がね・・・

市川昆はちょっとアートに走ってしまった。

記録映画作るつもりはなくてドラマを作ったから。

1936年ベルリンの「民族の祭典」あの時の映画は素晴らしいですよね。

あれは僕は全編は観てないのだよね。残念なことに。

あれは女性の監督だったのです。

ヒットラーの思う物とは違う物を作ったらしいね。

一番嫌いな黒人のオーエンスがあの時3冠王なっちゃったからね。

4冠王だよ。

あっ、走り幅跳びもオーエンスでしたっけ? あの時なんてアンツーカーもなくて土だったでしょうね。で、スターティングブロックなんて無いんだから、それが無くて10秒3だからね。

優勝タイムが3で、世界記録は10秒2。

ブロックがない???

要するに土を掘って、足を埋めてスタートする。

なるほど・・・

確かに見ていて抜群に速いんだよね、

オーエンスが?

うん、明らかに歴然と速くてね。同世代の人ならやっぱりオーエンスが一番速かったなって云うだろうというのはわかる。ヘイズみたいに迫力のある走り方じゃなくて、コンパクトでスムーズ。大柄なんだけど。

あれって見ていると僕はボクシングのジャック・デンプシー・・・じゃないや・・・黒人で凄く強かったのがいるんだけどな・・・ロッキー・マルシアノに勝って・・・ジョー・ルイス! ジョー・ルイスとオーエンスがかぶっちゃって、

オーエンスは走り幅跳びで史上初めて8メーターを超えた人だよね。

あっ、そうなんですか?

そう、それまでは走り幅跳びでは日本人が世界記録を持っていた。

南武忠平だ。

そう、7メーター98だね。

だって山田宏臣が跳ぶまで破られなかった。アンタッチャブルレコードですものね。

7メーター98、すごいよね、これは世界新だった。

おお~!

戦前は三段跳びだってね、田島直人が16メーター初めて跳んだ。

うん、これも世界新。

今は信じられないですよね、戦前は日本が跳躍競技でトップクラス。

三段跳びのことずっとお家芸と云っていたもの。

大正生まれですか。

明治かなあ。

どうしてあんなに活躍したのでしょう。日本人が・・・田島の記録は小掛という陸上部長が破ったけど、南部忠平の7メーター98は・・・

日本人はなかなか破られなかった。35年くらいかな。

8メーター跳ばなくてはいけないですからね。

で、それを越えたのがオーエンスで、8メーター6、結局オーエンスはどこまで行ったのかな、13くらいかな。

その記録って戦後になるまで破られなかったですよね。

戦後も戦後、それもローマオリンピックの1960年にラルフ・ボストンが。

そう、ラルフ・ボストン。

(やり取りを聞きながら半ば呆れて)・・・まるで見たかのようですよね、これって何時の話してするんだろうって。

大体1950年から1960年代の話。

ラルフ・ボストンが8メーター21を跳んで破った。ローマでも優勝した。

ローマで取って次の東京は取れなかったですね。

そう銀メダルだった、でメキシコは銅だから結局金・銀・銅持っているのだね。

メキシコまでは出たんだ、ボストンは。

出たんだけど、ビーモンに8メーター90、目の前で跳ばれちゃったから、みんな毒気を抜かれてしまってね。

あの時8メーター90を跳んでいる時って計測員が立っているんですよね、で・・・

立ってないよ(笑)、座ってるよ。それにしたってこんな所(頭のはるか上)を跳んでいくのだからすごい。

あの頃の幅跳びっていうのは、テルオバネシアンっていうのもソビエトにいたけど、低空で速く行くっていうのがあの頃のトレンドだった様な気がする。

低空じゃないよ、やっぱり高く上がっている。

そうか、斜め45度っていうのですね。

テレビでたまたまビーモンのジャンプ見たの。1回目いきなり跳んでふぁーっと、それこそ滞空時間が長かった。あれ? って思ったくらい。

あの時に計測器がなくて巻き尺でいったの、要するにそこまで想定していないから、だってあの時の世界記録って8メーター50くらいでしたっけ?

36かな。砂場の横に計測器があって、それは東京オリンピックから始まったんだけど、砂場に平行に置かれてスコープで覗くと距離が出る。ところがそれが8メーター50くらいまでしかなかった、それを越えちゃったから大変。

そこから40センチも越えているから巻き尺出して測った、

で、8メーター90って出てるからびっくりしてもう一度やり直した。何度も測り直して、これはどうも間違いがないらしいってことになって、随分時間経ってから記録が出た。

そうでしたよね、あれだけの世界記録の更新って未だにないでしょ? 前世界記録との差っていうのが。

50センチ以上なんだから。

それに一番近いのがやっぱりジョイナーの10秒49ですかね?

計算してみればね(電卓で計算する)・・・55センチとして・・・6.45パーセント、これだと例えば100メーター10秒0だったとすると急に9秒4になるみたいな、

とても無理ですね、

そんな更新はないよ、普通。

出すぞ出すぞと云われた人?

いやビーモンはノーマーク。

いや、ビーモンは優勝候補だったよ。ボストンと競り合ってはいたけど、試合では殆どボストンに勝っていた。

全米選手権でも?

うん、記録的にはボストンの記録が残っていたけど。

そんな記録は出してなかった?

ビーモンのそれまでのベストは8メーター30くらい、

彼はあれ一発で後は何も無いのじゃないですか? ビーモン。

ビーモンはそのときも8メーター90を跳んだあと2回目3回目も跳んだのだけどファウルして、その後跳べなくなってしまった。よっぽど興奮していたのじゃないかな。

彼はあれで宝くじ当てちゃった様なものですね。あんまり幸せな生活は後していないって・・・

その後、競技しても目標がなくなっちゃうからね。

その記録に対してもう身体が・・・あり得ない記録を出してしまったから。

人生そこで使ってしまった、

人生使っちゃったという台詞は切ないなあ。

でもその言葉は正しいかも知れない・・・

人間って全うするには、自分の中に能力があって生きてる限りどうやって使うかと思うのだけど、どこかで使っちゃう人は使っちゃうし・・・

・・・あれはちょうど助走から踏み切りまでがちゃんと合ったんだろうね、ぴたりと、それと空気抵抗が少ない。

あれは高地記録にはならないんですか?

そんな高地記録なんていうルール無いもの。

あの頃は無いか。

いや 今だって無いよ、空気が薄いから参考記録とするなんてルールは無いんだ。

今も破られていないの?

いや、それはね。 

それこそ一発屋が破った。

マイク・パウエルが8メーター95っていうのを跳んだ、破った。マイク・パウエルは他にも8メーター80位とか何回も跳んだ事あるから必ずしもまぐれでは無い。まあ世界記録は一種のまぐれといえるけど。

あの時にカール・ルイスが2位かなんかで、8メーター88くらい跳んでいるのですものね。

そうだね。カール・ルイスのベストもその時出ている。

そうですよね、パウエルが95跳んでしまったから負けただけで。

平均はカール・ルイスの方が跳んでいたね。

カール・ルイスはやはりスペシャリストですよね、色々やったけどやはり幅跳びが一番凄かったでしょうね。最後にアトランタで獲ったのが幅跳びでしょ?

あれ8メーター50だったね、あともう一人キューバの・・・

イワン・ぺドロソ。

この人もやっぱり8メーター50以上跳べる人でね、今まで3人じゃない?50以上をまぐれじゃなくて実力としてコンスタントに越えるのは。

100メートルの話に戻りますけど東京ではヘイズがダントツで、2・3位はフィゲロラとジェロームかな?

うん、ヘイズがね圧勝。結構大きくて、183センチあったの。 

あの頃ではかなりマッチョでしたよね。

そう86キロ。

今なら普通ですけどね。世界的にも平均身長って伸びて来ているのですかね。

はるかにでかくなっている。

だって、今オリンピックのバスケットなんてセンタークラスは2メーター10とか20はざらじゃない。東京オリンピックの時2メーター9センチか10センチのソ連のクルミンっていなかったっけ?

ああ、いましたね~。

それが断然、他の選手より頭一つ大きいのだもの。

今じゃそのくらい普通なのに・・・

今じゃそれくらいだと全然目立たないでしょ?
クルミンがやっている時の写真があって日本人なんて胸のあたりなんだよ。クルミンはちょっと背伸びすればゴールっていう。

あの頃ダンクという言葉なんてなかったもの。

なかったね。

えっ?

アメリカはNBAとかもちろんあったけどダンクという言葉はなかった、普通にシュート。
・・・100メートルでボルゾフっていたでしょう、

ミュンヘンで優勝した人?

ミュンヘンでボルゾフは100、200の2冠してます。

このときはアメリカの選手2人が2次予選で集合時間に遅れて失格したんだよ。

で、ボルゾフは久々の白人。その前の白人はハリーっていう。

うん、60年のローマオリンピック。10秒0を初めて出した人。

アルミン・ハリー、西ドイツの人ですね。白人では最高じゃないですか?

その頃は白人もまだがんばっていたのですね。

うん、ローマは2位もアメリカの白人だったと思う。シムって言ったかな?
ハリーはスタートが抜群。フライング寸前。ゴールは接戦。

でも日本人も1度は世界記録保持者だったんですよね。吉岡隆徳・・・あれ10秒3は、

そうか、当時の世界記録だね、

陸上の話ですか?

100メーターで日本人が世界記録持っていた時代があった。

え、すごい!! それ何年代ですか?

戦前

32~3年じゃないかな?

オーエンスが出る前ですよね、オーエンスが・・・

10秒2を出して破った。 

吉岡隆徳っていうのは10秒3、世界新を出したのではなくて世界タイだ。

でもその頃って0.1刻みなんだ。

ストップウォッチだからそこまでだね。ストップウォッチは少しタイムがよくなるといわれた。人間の反応って少し遅れる、つまり、スターターの煙見て押すのが遅れるのだそうだよ。

・・・やっぱりあのボブ・ヘイスのあの圧巻が一番ですね。

そうだよ、あの走り方のダイナミックさといい、あれに優るものはない。

今で走らせたら怖いですよね。まあ走り方が違うからという話になってしまうとつらいですが

トラックが違うから・・・

スパイクは?

走り方もスパイクももちろん違う。スパイクなんて今のほうがずっとよくなっている。

今の走り方はストライド走法、昔の方がピッチは速かったと思う。

だって下が弾まないから、速く回転した方が速い。
・・・100メートルから走り幅跳びまで行ってしまいましたけど、200はどうですか。

僕はトミー・スミス。

彼は未完の大器で僕は恐ろしいなと思う。

あれ、途中で辞めちゃった感じがある。だってあの頃の選手はその後食べていけないから長い事陸上やってられなかった。

だってあの頃陸上競技で・・・

名を売って、フットボールに入るとか・・・

今はツァーが出来るけれどあの頃そんな物はなかったから、

世界陸上とかワールドワイドな、

そんなものなかった。あれは80年代から。

スポンサーが付くとかそんなの無いし、賞金が出るとかなんにもない。

完全アマチュアですね。

200メーター、トミー・スミスとリー・エバンスとか、あれは400メーターか・・・

リー・エバンスは400メーター。あの時200でスミスのライバルはカルロスって、ジョン・カルロス。

あの時の1600メーターリレーの記録ってしばらく破られなかったですね。

あれはものすごい記録だったもの。だって他の国の選手と全然違うのだもの。走り方が。他の選手がジョギングしてるのにアメリカの選手だけ全力疾走しているみたいな。

あの頃みんな抵抗して黒い靴下はいて、でもあれで選手村追放になったんですよね。

???

黒人が差別されているっていうことをオリンピックの場で訴えたかったんだよ。

黒人の・・・

そういえばそういう映像見た事あります。

ブラックパワーという言葉が流行った。

キング牧師もいたし、ベトナム戦争の頃だし。
僕はやっぱりトミー・スミスもすごいなと思って、記録ではないインパクトですよね。記録だったら今の方が世界記録になるわけですからね。400メーターは?

400メーターもやっぱりトミー・スミスだと思うな。本気でやっていれば。

もしやったらね、マイケル・ジョンソンじゃない。マイケル・ジョンソンが未だに400は持っているけど。マイケルの400はまだ破られていないけど、マイケル・ジョンソンは200、400ですからね、でもマイケル・ジョンソンってあまり強いというイメージはないですね、記録はすごいけど。

400メーターに関してはそういう走り方の進化があって後世の人の方が速いかも知れない。だから400についてはあんまり比較してもしようがないかも知れない。だからもしやればと言ったのだけれど。
あとタイムで行けば今の人の方がずっと速いのだけど、1500メーターあたりで、そのときのレースで傑出していたといえばピーター・スネルっていう・・・

ピーター・スネル! ニュージーランドの、

すごく強かったと思うな。

綺麗でしたね、白人最後の。あっ、そうでもない、その後いっぱい出てきたか、中距離になると白人入ってきますね。あの黒いユニホーム、ピーター・スネル好きでしたねえ。800、1500でしたね・・・それで云ったら5000とか10000とかはフィンランドのラッセ・ビレンとか、

いやあ、長距離の5000、10000だったらゲブレセラシエか、今のエチオピアの・・・

ベケレとか、それはすごいですよね。昔のザトペックじゃないですよね。

どれだけ中盤のペースを上げてラストスパートに持って行くかという事がだんだん時代によって変わってくるので、勝負で強いと云ったら今のエチオペア勢だろうね・・・

昔はアフリカ勢ってそんなにいなかったから。

そう、アベベ以来、少しずつ出た程度。

スポーツなんてやってられない、そんな時代だった。マラソンだったら誰でしょう?

マラソンはね、大勢の反対を押し切ってアベベ。

やっぱりアベベですね・・・ちょっと番外で60年代最強の記録のクレイトンと言う、初めて10分切った・・・オーストラリアの、この人はオリンピックでは何の活躍もしなかったけど、

アベベは何故すごいかと云うと、そのアベベの記録って2時間12分11秒、

細かいなぁ~、その通り!

  (全員あきれる)

で、その前の記録が2時間13分50何秒くらい、

ヒートレー! イギリスのね。

そう、しかもヒートレーの記録というのはウィンザーマラソンと云って片道なの。

あっ 要するに、

往復じゃない、

あの頃それを云ってましたよね、

片道で若干下り坂なんだって、全体に。

あー、高低差がね、

だから参考記録なの。

ヒートレーというのは有名な(『もう走れません』といって自殺した)自衛隊の円谷さん。オリンピックで3位になったけど、円谷を最後に抜いて2位になったのがヒートレー、前世界記録保持者。あの時円谷って1万メートルも入賞しているのでしたよね。

1万メートルで5位か6位。

 

(6位でした)

それもすごい事ですよね。

初日の1万メートルに出て、最終日のマラソン。そういう人結構いたよ。だからそういう日取りにしたんだろうね。

あの時強かったですね、寺沢と円谷と君原がいたのですよね。実はね次のメキシコで銀メダル取る君原。

君原と円谷と高校時代からライバルだった。

君原の方が少し年が上だったですね。

同じじゃない?

あ、同じか。円谷が若手だというイメージがあって・・・寺沢は少し上でしたよね。

うん、でアベベの前の記録が2時間13分50何秒であと往復の記録は14分いくつだった、それを一気に2分以上縮めた。これがすごい。そして5キロごとのラップで14分切るとか15分とか時々云うでしょう? それを初めてやったのがアベベ、東京オリンピックで10キロから15キロで14分台だった。後半は完全に独走。だからアベベの記録は競って出したものじゃない。

アベベってテープ切ってからも余裕でしたよね。

整理体操してね。

ダウンしてたんですか?

そう、柔軟体操までして。

タオルに倒れ込むとか。

全然ない、涼しげな顔。

その時はプーマのシューズはいていた、ローマの時は裸足だったけど。

それで裸足の王者って云われたのですねローマって石畳だったんですよね

そう。

その時の記録ってどうだっんですか?

15分位。

15分台。東京オリンピックの時の12秒って驚異的な記録だったのですよね。

うん、僕は時計を見てびっくりしたもの。ちょうど1時スタートだったかな。時計見れば分かる、で 競技場入ってきた時にまだ2時間10分越えたばかりだったから、これはすごい記録だと思った。あれを思うとその後たしかに10分を切ってきて、今5分すれすれまで来ているけれど、少しずつ少しずつ更新でしょう?

そうですね、あの時のはすごいですよね。

ローマの前のメルボルンオリンピックの時のマラソンの優勝は2時間20分以上だった。

今の女子の記録ですよね。

アベベから急に速くなった。

アベベからでしょうね。マラソンが高速レースになったのは。

そんなこんなでアベベが強いと思うのだけど、

一番インパクトがあったから。

燃えた訳ですね。僕の場合はやはりカール・ルイスですね。

ああ短距離はね、彼は天才。やっぱり息も長かったですね、確かに名選手です。

マスコミを通してしか知らないですが、人間的にも偉い人という気がする。

走り幅跳びはビーモンもやっぱり、でもモストインプレッションとしては幅跳び部門では・・・カール・ルイス、あっ、跳躍部門はどうですか? さっき走り幅の話しちゃいましたけど。

う~ん・・・

やっぱり今はいなくなってしまったけど、ハイジャンプだと前人未踏のソトマイヨールになっちゃうかな?

いや、記録はそうなんだけど、誰が一番高く飛んだかというとソトマイヨールになるかも知れないのだけど、最初にあれをやったフォスベリー・・・

ディック・フォスベリー!

この人はすごく偉いと思う。発想の卓抜さ。世界記録はそのうち破られるかも知れないけど、パイオニアは不滅だよ。

フォスベリージャンプ、今の背面跳び。

背面跳びの話ですか?

そう。

背面跳びを世界で初めてやった人、発想の転換。

アメリカの白人ですね。

はじめは馬鹿にされたらしいね。

だって彼はちっともアスリートらしくないですよ。

うん、白人のスラッとしたハンサムボーイで。

そう、優男で。

なにか変な飛び方する人がいるらしいよといわれて、あれよあれよという間にメキシコオリンピックに出て、気がついたら優勝しちゃった。以来みんながその跳び方になっちゃった。後ろ向きに跳ぶなんてだれも考え付かない。

今あの跳び方以外する人いないですよね、それまではベリーロールですよね。僕はベリーロールだったらブルメルが一番だと思う。

うん、それはブルメルだな。間違いない。ロールオーバーっていうのもあった。

挟み跳びという事ですか?

いや、挟み跳びは正面跳びの別名、ロールオーバーは違うのですよね。

左足で踏み切るとして、ベリーロールはバーに向かって左側から走ってこういう具合に右手と右足を同時に上げる感じ、そうしてバーを下に見て半回転して越える。ロールオーバーもやっぱり左側から走って右足を上げてこうやって体を横にして越える。

えっ、横向きに落ちるんですか??

正面跳びは右から走れば左足で踏み切って・・・右足を上げるのだけど・・・

若干右寄り、ほとんど正面から行くね。左足で蹴ったら右足を上げて、右が越えたあたりで身体を後ろ側に半ひねりして左足を挟むようにして越して左足から着地する。

だって東京オリンピック最後のヨランダ・バラシュ、正面跳びで優勝した、世界記録すごいですよね。

あれは191か?

 

 (バラシュの世界記録が191、優勝記録は190)

未だに越えられない人もいる。

正面跳びであれ越えるのはむずかしいね。正面跳びって限界があってね、身長までくらいしか飛べないといわれた。だってヨランダ・バラシュって190センチくらいあった。

 

 (公式発表183、もっとあるというのが定説)

女性だよ。

えっ!!

ルーマニアでコマネチの前に有名だったスポーツ選手と云えばヨランダ・バラシュ、脚長おばさんと云われた。

トッポジージョかなんかのね、マスコットを持ち歩いてね。

そうなの?

うん、トッポジージョ置いて。

走り幅跳びだったらカール・ルイスかなって気がするけど。

走り幅跳びこそカール・ルイスですよね。

世界記録こそ残さなかったけど。

ええ、名選手です。

記録ならマイク・パウエルなんだけど・・・パウエルって名前は勝負に弱いよね。
運がないのかな、そういうえばバド・パウエルも・・・

そうだ、だって世界記録は未だにパウエルですよね、8メーター95。

91年東京の世界陸上で出した。ルイスと大接戦。平均はルイスのほうが跳んでいた。

あれ見てましたよ。

そうか、見てたのか。僕は見落とした。100メートル(カール・ルイスが世界新で優勝)は見たんだけど。

あれいつから始まったのですか? 手拍子要求するのは

棒高跳びの選手じゃなかったかしら。

三段跳びのアメリカのバンクスっていったかな、ロサンジェルスかなんかに出ていた・・・

あっ、あの面白い・・・

あれが最初じゃないかな?

あれって自分でこう集中出来なくなるっていう事は無い訳? あれに押されて跳べるわけ?

と思っているんでしょうね。こっちから見ると自分の走るテンポと合わないしね、よくないと思うけど。みんなが押してくれてるって気持ちがあるのかね。

気でしょうねえ。

でもその頃(ロサンジェルス)からアメリカで陸上競技がショーとして成り立つ様になった。

そうですね、賞金がかかるようになった。

で、カール・ルイスなんかもそうだし、あの頃400メートルハードルとかの・・・

ああ、エドウィン・モーゼス。

そういう様な人がプロとして成り立つようになったと。

だからあの頃からブブカが1センチ刻みで記録更新するようになった。だって世界記録出すとボーナスが出るんだもの。

あっ、そういう事があったんですか。

イシンバエワだって1センチ刻みでね。

1回出して今日は調子いいからもう1センチ上げようかとかしないんだよ。 世界記録を同じ日に2回出したってしょうがない。別の大会で出したほうがいい。

1回毎にワールドレコードボーナスが。

だからその都度1センチずつ上げて行くわけ。

ブブカが何10回も更新したと云うのは1回ずつのボーナスで。

で6メーター14で終わったんだけど、ブブカが全盛の時に全力を出せばどれだけ行ったのか未だに分からないわけ。つまんない話。

だって今と桁違いに、ジョイナーと同じくらい離れていますよね。ブブカ以外に6メーター越えているのほんの少ししかいないでしょう? まさに鳥人。

ほかの人は実力5メーター90かそこらでしょう。

今回だって棒高跳びの記録はね・・・5メーター96なのかな?

ほかの人は6メーター跳べないんだよね。あの頃ブブカっていうのは、今イシンバエワが真似しているのだけど、ずっとパスしていて5メーター80くらいの時に初めてポンと跳ぶ訳、そこで最低限のメダルか入賞を確保する。で次にみんなが脱落した頃に5メーター90か95を跳んで優勝を決めるわけ、それで3回目に世界記録にチャレンジする。

で、オリンピックで世界記録を更新すると更なるボーナスがある。

ところが不思議なことにブブカはオリンピックには3回出てソウルの1回しか勝ってない。

そう。

えっ?? そうなんですか?

つまり大勢出るでしょう? だから試合時間が何時間にもなる訳。自分が出てくるまで寝て待っているの。その間体調を維持するのが大変なんだろうな。で5メーター80くらいで出て来てまずは跳んでという所で失敗してしまうことがある。

身体が冷えているからね。

失敗すると記録なしで終わってしまう。ブブカは2回くらいオリンピックでそれをやっている。だから一番調子がいいのは日本でやるスーパー陸上とか、そういう何かの招待試合で、そうすると選手も数人しかいなくて短いから調整しやすい。

テンポよく跳びますからね。

そんなにだらだらやらないで自分の調子いい時に跳べる。3回やって1回5メーター80、次に5メーター95で優勝して・・・

だって跳躍競技って1日に8時間とか。

あれはどうして変えないのだろうね。

昔から有名じゃないですか。西田・大江の時代から、戦前のね。

・・・戦前・・・

あれだってメデュースと西田・大江がやった時なんて夜中じゃないですか ロサンジェル・スオリンピックの・・・

ああ・・・聞いた事あるな・・・

友情のメダル。要するに西田・大江が銀と銅を割ってつけた、あれだって夜中じゃないですか。今みたいにナイターじゃない。昼のつもりが夜になってしまった。東京オリンピックもね。

ハンセンが・・・

フレッド・ハンセンとラインハルト、姉貴好きだったよね、きれいなドイツの。

銀髪のラインハルト、

はは(照れ笑い)、そうだったっけ、少女漫画っぽかったかな?

ラインハルトをみんな日本人は応援した。フレット・ハンセンはちょっとね、ジェリー藤尾っぽくて(失礼しました)・・・優勝記録5メーター10でしたよね。

今のイシンバエワくらいだね。

あれだって9時間かかったんですよ、夜中まで。

走り高跳びも同じく時間かかるよね。

やっぱり跳躍競技って、

高跳びは記録を上げてその都度各人3回ずつ跳躍できる、みたいな事やっているから時間かかるんだよ。あれをね、重量挙げと同じやり方できないかな? 一人持ち回数3回、好きな高さ選んで自分が跳ぶ。

でもそれトライアルしたら重量挙げって下げられないじゃないですか。

うん。だから記録なしで終わる人が沢山出る。だけどそれはそれでいいじゃない?

勝負ですからね、それもかけひきですし。

何秒間か悩む内に何か・・・

1回申請しても重量挙げって変えられるし。

相手の記録次第で変えられる。ああいうやり方にすればさっさと決まるし、それを3回で厳しいと云うなら5回にしてもいいし。
もうひとつ、予選で決勝に残るために、例えば棒高跳びなら5メーター70に設定して、越えた人間だけが残ってやるのに、決勝でまた5メーター50くらいから始める。あれも何か変だよね。だからすごく時間がかかる。

いつも朝から始まって夜中までみたいなね、未だにそうしてますよね。

うん、そう。だから何であれを変えないのだろうと思うのさ。だけど、それも含めて競技なんだろうね。

そうですね、競技者みんなにとって平等ですからそれが競技なんですね。

でも記録だけ狙いたいって人には向かない。

それに放送には馴染まない。

向かないですねえ。

 

 

・・・つづく・・・
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