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● 鈴木大介ギターエッセイ パート30(2002年10月23日号)

10月エッセイ第二弾!今日(10月23日)の電話によると大介さんは利尻で嵐のため足止めを食らっている様子・・
それと緊急のお知らせです。11月10日「題名のない音楽会」で「コラボ世代の新鋭ギタリスト・鈴木大介」がオンエアされます。皆さん、ぜひご覧下さい。


シューベルトの「美しい水車小屋の娘」
ヘルベルト・リッパートさんとの「水車小屋」の公演が迫ってきました。昨年はサントリーホールのメンバーズの皆さんにだけしか公開されませんでしたが、今年はどなたでも聴いていただけます。乞うご期待!!

○リートのギター伴奏版
シューベルトの歌曲の多くが、作者の存命中にギター伴奏用に編曲されて出版されていたことはよく知られています。これは、19世紀前半のウィーンにおいて、ギターという楽器が極めて一般的な家庭楽器であったことが理由です。その編曲は、出版元であったアントン・ディアベリ自らが行ったものや、ヨハン・カスパール・メルツ、フランツ・コストといったギタリストであり作曲家でもあるヴィルトゥオーゾによってなされたものなど、様々です。しかしそれらの編曲を誰が行ったにせよ、シューベルトの歌曲がギターという素朴な伴侶を得て、ある意味ではより本質的な輝きを発することにかわりはありません。また、シューベルトの作品ほど多くではないにせよ、他にもハイドン、モーツァルト、ベートーベン他多くの作曲家達の歌曲がギター伴奏版として編曲、出版されていました。現在私たちに入手可能なものはその一部に過ぎません。歌曲だけではなく、例えばベートーベンの弦楽トリオop.8などは、チェロパートを当時の作曲家ヴェンツェル・マティエカがギター用に編曲したものも出版されていますし、モーツァルトのレクイエムを補完したことで有名なジュスマイヤーも弦楽カルテットとギターのための五重奏曲を残しています。

○シューベルトのギター
シューベルトが所有していたギターは、「アルペジョーネ・ソナタ」によってのみその名を歴史にとどめたといって良いチェロとギターの中間の楽器「アルペジョーネ」を製作したゲオルク・シュタウファーによるものです。シュタウファーはウィーンのギターの名工で、スペイン式であったギターに自信のアイデアを加えて独自のスタイルを創造しました。パガニーニの伴奏者として活躍したレニアーニも、彼のギターを使っていました。

○演奏に際して
「水車小屋の娘」の作品中いくつかは、シューベルトの時代にすでに編曲されていました。現代ではコンラート・ラゴスニックが編曲し、ペーター・シュライヤーと全曲演奏したことがよく知られています。ラゴスニックの編曲はギターが歌と対話する、というよりも、歌の表現をしっかりと支える、というコンセプトのもので、無理なく現代のギターのために書かれています。しかし、シューベルトの歌曲の伴奏パートには、些細な動機に詩の主人公の心情や情景描写が込められており、オリジナルのピアノパートにみられるそのような感情表現の機微をよりギターで効果的に表現できたら、という試みが続いています。ピアノのバスのラインをかなり忠実に再現したMatthias Kl拡erや、バリトンとの共演のため音響的にはギター的ではない調性をとりながら、創意溢れる編曲で話題になっMats Bergstr嗄
らの演奏が録音されています。確かに、シューベルトの伴奏譜はあまりに魅力的に書かれているので、研究を重ねるほどにすべての音をギターで再現したくなってきます。でも、シューベルトの時代、家庭やサロンで楽しむためにそのピアノパートでさえもしばしば変更されたそうです。そのようなことから、昨年リッパートさんとの共演時に施した編曲は極力簡潔で効果のあるものを、と心がけました。今回の再演にあたっては、昨年の編曲をさらにバージョン・アップして、もっと自分のイメージに忠実な編曲にできる予定です。シューベルトのピアノパートの編曲では、そこに何かを付け加えることよりも、必要なもの以外をそぎ落として行くことの方がはるかに困難です。しかしそれにも関わらず、面白いことに、よりシューベルトの本質に近づくには、自分の感じている異物を濾過して、より透明で無垢で、技術的にはシンプルな編曲にしていくことしか無いように思われます。つまり、シューベルトの編曲に置ける「バージョン・アップ」とは、重ねて足していくことではなく、透かしてみて引いていくこと、のようなのです。