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● 鈴木大介ギターエッセイ パート8

3ヶ月ぶりの大介さんのエッセイです!

 

 こんにちは。

 みなさんも御存じかもしれませんが3月のおわりから4月のはじめにかけてアムステルダムにいってきました。まだ少し寒かったけど、ひさしぶりのヨーロッパはとても快適で、やはりたまには目まぐるしい日本の生活を離れてしんみりとものを考える生活もなくては、という思いを新たにしたのでした。アムステルダムで楽しいのはコーヒーショップ、だけではなくてゴッホ美術館、コンセルトヘボウ等など、多々あるわけですが、そうでなくてもこの街は、大きな村のような雰囲気と、街を縦横にながれる運河の風情、そのわりに外人慣れした人々のおおらかさ、といったことから、僕の中ではヨーロッパの中でも特にポイントが高い街なのでした。

 今回はコンサートのためにいったのですけれど、その後もそのまま残って知人を訪ねたり、連日連夜信じられないくらいぜいたくな内容のコンサートを聞きに行ったり、日本に帰ってからのプログラムを練習したりしていました。僕は大の楽譜おたくで、訪問した先々で楽譜屋さんに行かずにはいられない性分なのですが、そんな欲望を見すかしたかのようにアムステルダムでお世話になった現地在住のヴィオラ奏者の今井信子さんが、コンセルトヘボウの近くにある楽譜屋さんをおしえてくれて、3日間も通ってしまいました。通ってるうちに店にすっかり馴染んで来てしまい、お店の人に間違えられて最後の方はたいへんだったです。逆に言えば、それだけ東洋人がどこにでも働いていると言うことで、これも○。アムステルダムだけに、ジャズや古楽の情報も豊富でしたし、街を歩けばチューリップを売ってるし、ほんとに川より地面が低くて風車がまわっているし、何よりも日本とは明らかに違う時間の流れ方に、留学していた頃を思い出しました。

 

 留学中はとにかく新しい知識を得ようと貪欲になっていて、毎日毎日本をよんだり音楽をきいたり、練習以外にもたくさんすることがあって、そうやって学んだことが自分にどのように関わってくるかなど考えもしなかったのですが、現在のように自分が演奏家のはしくれとして生活させてもらっていて、自分がこれから弾く音楽や表現するパーソナリティーにどういった方向性を持たせていこうかと考えはじめると、おのずと情報も取捨選択が必要となってきます。それは自分が弾いている音楽が、自分だけでつくり出したものではなくて、鈴木大介という名前に関わっているすべての人々によって成り立つもので、自分はそのハードの部分をやっているにすぎないという、なんだか他力本願のような責任感のような気持ちからうまれてくるものです。

 例えば、今回のアムステルダムの演奏会から使いはじめた楽器があります。これは今井勇一さんに以前からお願いしていたもので、僕のタッチの特性、好きな音色、古楽器との相関性といった種々のファクターから考えた、かなり特殊な構造の楽器です。結果として、僕は以前よりもはっきりとした形で僕の音色というものを表現できるようになった気がします。

わかりやすくいいましょう。武満を録音した頃は、僕は福田先生がモンポウ等をレコーディングしたフレドリッシュを使っていました。「フランセーズ」では別のもう少しブーシェに近いフレドリッシュを、それ以後の録音ではケヴィン・アラムを使いました。最近では、香津美さんとのセッションやコンチェルトには杉のギルバートを使うようになりました。それらのどれもがそのときどきの僕の要求する音色を持っていますが、最近はもう少しモダンな、ライヴでのクオリティーの高いソロ用の楽器をさがしていて、今井さんにお願いしようと思ったのでした。今井さんは僕のコンサートにもよく足を運んでくださるし、録音も聞いてくださっているので、彼には彼の、鈴木大介の演奏に対してのイメージがあることでしょう。そうして出来上がった楽器は、今井さんのイメージの中の鈴木大介の演奏をより良く伝える楽器になっていました。今井さんがアルバロ・ピエルリや、香津美さんに頼まれた楽器を作る時は、僕の楽器とは全く違った楽器になることでしょう。

 そして何よりも驚くべきことは、僕自身がその楽器に後押しされて、より「鈴木大介的な」演奏をすることができる、ということです。そのようにして、鈴木大介に力を貸してくれるたくさんの人―楽器屋さん、CDを作る人、売る人、マネージャーetc.―によって、より明確な鈴木大介のイメージが出来上がってゆきます。

 

 話は飛んでしまいましたが、アムステルダムにいて、留学中とちがうことはそういうことなんだと思いました。目的がはっきりしてくると、より精度の高いセルフ・コントロールが重要です。健康管理や情緒の安定(??)同時に、見るものや聞くものすべてを自分だけの感情で判断するのも、すこし恐くなってゆきます。ゴッホ美術館を歩いていて、ひとつひとつの絵画から放射されるエネルギーに昔よりずっと敏感になっている自分自身がいて、それを伝える人がいないと飽和してしまうような気分になりました。アムステルダムからの帰りの飛行場でしりあった、建築を勉強している山田君という大学生は、もう2ヶ月ちかくも一人でヨーロッパを旅行していて、ガールフレンドにも会っていないといっていたけれど、そういえば自分にも昔はそういう時期があったなと思い出しました。自分の夢は自分で見られて、毎日毎晩膨らんでゆくおおきな夢のおかげで心細さも忘れてしまえた頃。僕は十代の時、若者に昔の自分をおしつけるようになったら人間おしまいだと思っていたけれど、三十代を目前にしてみると実際はそうじゃなくて、若い人をみて自分の中に少しだけ残っているその若さを確認してほっとするような感じでした。僕も昔はそうだっった、ではなくて、僕も今でもすこしはそうだよ、という感じ。彼にはきっと不可能なんてないのでしょう。きっと無限の力が宿っているに違いないと思わせる眼の熱いこと。

 一方今の僕は、自分の仕事にたくさんの人の力を必要としているし、その仕事を見ていてくれる聴衆の皆さんを必要としているし、歳を重ねるごとに自立してゆくどころか、子供の頃以上に依存していくようです。でも、それがきっと自然な姿なんだろうなと、肩の力がぬけてきたら、前よりずっと仕事が楽しくなりました。