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● 鈴木大介ギターエッセイ パート24(2002年7月5日号改訂版)

夏に向かい、パワー全開になってきた大介さんです。7月のスケジュールときたら!!
大丈夫なんだろか・・・って心配になる程、プログラムも多彩だし、超過密。管理人も4日、5日連チャンさせて頂きます(*_*)


久しぶりです。

 今日は、黒田亜樹さんとCHICAさんの「東京ピアソラランド」のライブにゲスト参加させてもらいました。いつも感じることながら、ピアソラの五重奏団のエレキギターのパートを弾くのは、「労多くして実り少ない」の真骨頂を行くような、地味ムなパートなんですが、何故かグルーブの中心にいるような気がしてくるのでとても楽しかったです。どうしてなんだろ。

アストル・ピアソラの音楽は、聴く人だけではなくて演奏者の方にも、「これのためなら命がけ」と思わせるような何かがあるようです。僕も、苦難と闘いのピアソラの生涯に、感じるところは多々あるのだけれどけれど、僕はやはりクラシックギタリストとしてしかつきあえないようなので、それ一筋に生きる人に申し訳ないから遠ざかっていよう、と思うたびに誰かが、「ブエノスアイレスの夏」やらない??とか言ってくる。で、けっこう自分も好きなので引き受けてしまう。どうしてもピアソラの世界に引きずり戻されてしまって、またレコード聴きながら格闘の日々、なんて事になってしまうわけです。ここまで来ると、これは父親の亡霊にたたられているのでは?(ちなみに彼は超超アルゼンチンタンゴファンでした)とさえ思えてきてしまいます。

父の遺したCDの中でも、彼が特に好んで聴いていたのは何枚かのピアソラのCDと、ハーブ・アルパートのベスト、それからジョン・ルイスの平均率クラヴィーア曲集でした。ピアソラ弾いて帰ってきて、ふと久しぶりにジョン・ルイスのバッハ聴いてみました。

平均率クラヴィーア曲集のプレリュードとフーガを、プレリュードはピアノ・ソロで、フーガは声部ごとにベースやギターに振り分けてバンドでやっているんですが、バンドのひとりひとりが、切々と思いを込めて、それでも淡々とフーガを紡いでゆく様は、何かがこみ上げてくるのを禁じ得ない感じなのです。

でも、今日聴いたら、ピアソラの五重奏団のあのストイックなギターの感じと、なんかジョン・ルイスのバッハに参加してるハワード・コリンズのギターが似ているような気がして仕方がなくなってきてしまいました。

音のひとつひとつに思いを込めて、ガーーンと弾く音楽もあるけれど、少なくともエレキギターって言うのはそういうことをするとコントロールを失う楽器のような気がします。そのかわりそーーっと弾いても大きな音が出るからね。で、万感の思いを込めて、でも淡々と音を置いていく、緊張や熱さで力一杯引きまくってしまいたいけれど、我慢に我慢をしてその思いをほんのわずかな弦の振動に凝縮してゆく。熱い思いをおさえておさえて、それでも時折あふれ出る想いが演奏を暴走させてしまう。僕の父はそんなせめぎ合いのある演奏、というよりもそんな演奏の中の、静かに散る火花が好きだったのではないかと、今さらながらに思えてくるのです。

センチメンタルな想いを肯定する音楽は、感傷を吐露し叫び尽くす音楽だけではありません。強く、熱く、ひたむきな想いが鋼のような音の結晶になればいいなと思います。

そうすれば、もうトルシエ前監督に「日本には守りの文化がない」とは言わせないと思うけど・・・・・飛躍しすぎ???