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● 鈴木大介ギターエッセイ パート38(2003年7月25日号)

東京都現代美術館での「田中一光回顧展」の企画に意欲的に取り組んでいる大忙しの大介さんです。2回を成功裡に終えた大介さんのコメントです。


とてもあと一週間で8月とは思えない今日この頃ですがいかがお過ごしでしょうか?
都立現代美術館での「田中一光回顧展ミニコンサート」も残すところあと一回となりました。田中一光氏の強いインパクトのある先鋭的なポスターの数々を一堂に展示すると、まさに圧巻。安藤忠雄氏がてがけられた展示室のペットボトルの壁は、様々な意図で作成されたポスター達をとてもニュートラルな感じで受け入れさせてくれます。アートでありながら実用目的でもあるポスターをまさに「美術品」として再認識できる機会を与えてくれます。コンサートは展示室の奥の方で行われているのですが、アーティスティックな環境を通り抜けてきたお客さんにとって普段のコンサート会場よりも何倍も「現代音楽」が身近に感じられるようで、みなさんとても熱心に聴いてくださいます。7月19日の第二回目では、ミュージック・トゥデイのコンクール受賞作だった柿沼唯さんの「セレナード」が1988年以来15年ぶりに復元されました。今回のミニコンサートのために、紛失していたスコアを再現してくださった柿沼さんが指揮もしてくださり、演奏時間が20分とわかると、お客さんがいっせいにゆかに座り出すという、なんとも和やかなムードで僕も演奏を楽しむことができました。音楽はアジア的でありながら、時空を超えた雰囲気もあり、今後も再演されるべき作品だという思いを新たにしました。
僕が今回選曲にたずさわったこのミニコンサートですが、実は興味があったのに取りあげられなかった作品がたくさんあります。その曲のためだけに演奏者を増やすことが出来なかったり、美術館という環境からある程度デモンストレーションが要求されるわけで、そこでちょっと苦しいかなと感じたり・・・理由はいろいろですが、悔しいのでまたいつかそうした作品も取りあげたいと思っています。
一方、今回のミニコンサートで演奏される(た)作品については、自分ではとても満足しています。前述のように、美術館の通りすがりのお客さんに聴いていただく、ということでは、コンサートホールを化学反応の実験室にしてしまうような作品や、密室という「シアター」的な要素に依存したある種演劇的パフォーマンスを要求する作品はハイリスクであろうと思っていました。そこで、前衛やポストモダン、あるいはネオ・ロマンティシズム、そういうことがひととおり宣言されきって幕を閉じた20世紀音楽を俯瞰したうえで、戦略的な「新しさ」や、あるいはその逆の「癒し」を狙ったものではない、作曲家の本能的な審美眼がおのずと現出している作品だけが残りました。
このことは現在の僕自身にとっても、大変有意義な「出発点の確認」となりました。相変わらずの多角経営で、日々まったく違う音楽を相手に格闘する毎日ですが、だからこそ、「いったい君って何者?」という問いにたいしてはっきりと提示できる自分のコア=アイデンティティを確立できている気がしています。
第三回は8月9日。「20世紀のクラシック」ドビュッシー&武満と、先日亡くなったベリオのプログラムです。

写真「田中一光回顧展ミニコンサート『ミュージック・トゥデイを振り返る』の模様